「レプリカたちの夜」一條次郎著(2016)


 ファンタジーであろうとミステリーであろうと、背景や設定はどんなにトチ狂ったものでも構わない。
SFの中には荒唐無稽な仮定に基づくものもある。しかしその枠組みの中で、人物が合理的に動いているか、
心情の変化は自然か、因果関係は論理的か、展開に飛躍はないか、説明が破綻していないか、要するに
リアリティが高いかは、読者が作品に没入できるかどうかの基準である。そのあたりがokなら、設定の如何に
拘らず登場人物に感情移入できる。そんな小説の基準が全て破られたという点で、本作品は怪書である。
 こどもがファンタジーな作り話をダラダラしゃべったらこんな感じになるかと思う。ひらがなが多いし、
否定文も多い。長セリフはひとりよがりである。そして伏線のほとんどは未解決である。ぬいぐるみのように
頼りない小説の骨組みでは、『自我』という重厚なレプリカントテーマを論じることが難しい。
 ところで映画「カメラを止めるな!」はなぜウケたのか。それは伏線を完全に回収していく緻密な構成に
誰もが舌を巻いたからである。そして鑑賞リピーター=視聴者ゾンビの大量発生は社会現象にもなった。
見逃した/読み飛ばしたかもしれない、という不安感は、ミステリーではよく起こる。それは視聴者/読者に
「ち、やられた!」というある種の悔しさと同時に、種明しを教わる快感をもたらす。低予算な子供騙し
ゾンビ映画だって、大人の鑑賞に堪えるものになれるのだ。「カメ止め」はミステリーとは呼ばれないが、
実はそれと同じ味わいを提供していたのであった。
 どういう作風が好みかと聞かれたら断然後者です。どんな仕事でも論理性と丁寧さがあるものは映える。




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