「本能寺の変 431年目の真実」明智憲三郎著(2019)
本能寺の変は単独犯だったのか?黒幕あるいは共犯がいたのでは? 都市伝説的にはよくある話。
著者は御先祖様の汚名返上を研究動機としていることは明白だが、情熱とは裏腹に緻密に文献を繙き、
秀吉-家康の共犯ラインを炙り出す。時の権力者は、この謀叛を明智の単独犯として収束させたいと
する、正に死人に口無しである。情報統制つまり文書記録が改ざんされる。ところが事後収拾には必ず
ボロが出るもので、430年を経て矛盾が次々見つかる。真偽はさておき歴史ミステリーの醍醐味がある。
春日局(光秀側近斎藤利光の娘)の子家光が三代将軍となり、徳川-明智同盟はやっと完成したという。
面白い考察があった。明治〜第二次大戦終戦まで、軍国主義は大陸侵攻を是としたかった。その
パイオニア秀吉をヒーローに仕立て上げようとするバイアスが娯楽にも学府にも働く。国策映画や国営
放送に頻繁に太閤記が題材に選ばれることとなる(今でも!)。光秀-信長抗争から漁夫の利を得て、
たやすく天王山で光秀を討ったのは狡猾さ以外の何物でもない。異変を事前に察知しても信長に報せず、
異常に速く中国返しを行えたのはなぜか。そこに疑問を感じたとしても、歴史学者は秀吉を悪人に
できなかった。権威に守られた歴史解釈は一人歩きを始める。歴史は権力者によって造られる。
話はそれるが、映画やTVでは勧善懲悪モノは人気がある。秀吉=善/光秀=悪というのは一つの
典型図式だ。徳川の悪口を言えない江戸時代、落語にも歌舞伎にも、家康=善/三成=悪という枠組み
が刷り込まれた。では、三成はそんなにも悪将だったのか?戦は下手とはいえ、実は名宰相であった
という。小早川が寝返らなければ石田が天下人となり、石田=善となるところだったのに。悔しい。
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