「中国人による中国人大批判: 日本は謝罪してはならない」金 文学著 (祥伝社黄金文庫 2006)


 この本、もう二昔も前に文庫化された評論だけども、日中あるいは日韓の関係は驚くべきほど旧態依然だ。
中韓はいつまで日本の敗戦国としての弱みに付け込もうとするのか?この謎を解明しようとするのが本論文である。
 伊藤博文は中国に首相として招聘されかかったとか、満州は当時のアジア最先進国だったとか、孫文ら
アジアの革命家たちは日本に亡命したとか、日本から中国への無償ODAの額とか、この本からいろいろ教わった。
 この論説骨子は概ね同意できる。中国は大国となったけども、なぜかいまだに小国のフリをする。独裁政権に
よく見られるプロパガンダで洗脳され、国民への情報が統制され、人為的な「憎日」に至っている。一方、韓国は
民主国家だが、政権安定・得票のため「従軍慰安婦」「戦後賠償」カードはいまでも奥の手にある。深層心理に
まだ「羨日」感があるかもしれない。結果として中韓とも、理由は違えども「反日」政策を採っている。
トランプ政権もプーチン政権もそうだが、外患転嫁がまかり通るのは民主主義が未熟なためだと言わざるを得ない。
バッサリ言ってしまえばそういうことだが、私の意見としては、もっと文化人類学的考察が必要かとも思った。
 ありがとうの意味で「すみません」を使う国民性は他国にはない。これがため謝罪の要求に対して従順になる。
へりくだり敬語を持つ言語体系は他国には見られない。このために卑下することに寛容になり、自己主張が乏しい。
同調圧力が強くて出る杭は打たれる。独裁者が現れない代わりに、自国においても国際的にも強いリーダーは出ない。
日本の発言が大人しいと、特に中国は孫子の兵法「敵退我進」のお国柄なものだから、一層付け込んでくる。
アイデンティティを自ら守ることは他者をリスペクトすることに繋がる。どの民族も文化伝統を大事にして、毅然と
した態度でそれを見せることが重要。自尊心も重要。だから、教科書への干渉お断り、くらいは主張できないとね。


注:私の周辺には中国人の友人も同僚も学生もいる。さきごろ新疆ウイグルの苦労人の方とも話した。南京の
学会に行ったときの最後の宿のオヤジもいい人だった。個人としての中国人皆好きです。国と個人は別です。



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