「理系白書」毎日新聞科学環境部(2003)


 就職指導委員(2期目で任期H20、21)をやっているといろいろ考えるところがある。まれに金融やら、マスコミやら、流通に進みたいという声を聞く。
 文系就職の採用基準では、大学で文学やら経済学やら何を専攻したかというのはまったく問われない。個人の資質として、人当たりがよいか、話がうまいか、が重視される。これは生まれ育ちの過程で身につけられるところが大きく、高等教育でこれを修めるという性質のものではない。仕事さぼって喫煙室でだべってばかりの人、飲み会は朝までつきあう人、そういう人たちが意外に速く出世したりする体質は企業には少なからずあり、文系職場で特に顕著である。大学や大学院で身につけた技術力や努力と無関係なのである。もちろん、そういう職場や職種を否定するわけではないが、理工系大学教員で特に就職委員として、卒業生にこの方面の就職をあまり推奨できない。私の後輩は証券会社に就職したが(バブル時期は多かった)、バブルが弾けたら真っ先にリストラの憂き目にあった。さらに、文系就職してから転職で理系に戻って成功したという話は、いっさい聞かない。
 濡れ手で粟という職を夢見て有象無象が集まるところで、成功をおさめた者の例はよく報道される。マスコミはそれを煽ったりする。一方、身を滅ぼした例はあまり報道されない。給料がいいから、ブランドだから、という理由でテレビ局や広告業界にあこがれる気持ちも理解できる。プロスポーツ業界と似ていて、自分の力に自信があれば、その道をのぼりつめることは確かにできる。夢を持つことも重要だ。しかし、身の程を理解して堅実な他の道を選ぶことも勇気ある選択である。平均生涯賃金は、文系が理系より高いのは事実である。これはあくまでも平均値である。どんな集団も、働いているのは一握りだけで、他は穀潰しだという言葉がある。特技を持たない労働者は、リストラの影に怯えつつ口を糊するのが精一杯というのが大多数派なのである。文系職の道もそれなりに辛いのだ。
 いま路頭に迷っている若者が増えて社会問題となっている。この社会構造の根は深いけれども、技能や技術を持っていれば、身を助ける可能性は増える。初等教育において手に技術(理科だけとは限らない、美容師も農家もいい)を持つことの大切さを徹底して教えることが、このような歪んだ社会構造への対策だと個人的には考えている。残念なことに、初等教育の現場ではこの観点からは無策のままである。霞ヶ関は文系職場なのである。霞ヶ関は「一握り」だから下々のことを知らない、知ろうともしないのである。工学系大学の不人気傾向が継続していることは、現在の技術軽視の教育の風潮を端的に物語っている。もともと加工貿易でしか生き残れない我が国が、技術を軽視してよかろうはずがない。
 理科を修めたということは、文系職の多くの人の憧れる特技なのだ。理科系技術者という特技を磨くこと、研鑽を積むことが、今後いかなる武器となるか。そのあたりをよく考えて、人生設計と就活戦略を練ってみて下さい。そして、願わくば、社会に出たら理系の地位向上を目指して闘って頂きたい。



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