「サブリミナル・マインド」下条信輔著(1996)

 この歳になると、喋り間違いやら記憶違いやらが悲しいかな頻繁に起こる。おそらく本人が気付くのは
ほんの一部である。しかし私に限らずどなたにでも「錯視」の類を含めて自意識で理解しがたい錯誤感覚が
起こることは事実である。情報が意識に到達する前に、すでに情報操作(フィルタ)が終了しているのである。
発信する情報も多分バイアスがかかっているだろう。自覚はない。そこでこんな言葉をふと思い出した:
『感覚とは情報処理の一つの結果にすぎない』(「百億の昼と千億の夜」光瀬龍、萩尾望都1973,77)。
 記憶の機序も不思議なもので、短期記憶と長期記憶とが無意識に使い分けられる。コンピュータなら
メモリとディスクの使い分けである。ディスクキャッシュとかラムディスクもある。振り分けは CPU の
仕事ではなく、DMAC(ダイレクトメモリアクセスコントローラ)が司る。CPU に負担をかけないという
観点から言えば、 グラフィックボードの役割も好例である。描画作業は CPU の仕事から切り離されて
オプションボード上のチップに譲られる。これは大脳の支配を離れた小脳の役割に例えることもできる。
それからキー入力バッファの動作も面白い。タッチの速い人なら経験あることだが、画面へエコーバック
する前に入力ミスを delキーで修正できる。画面には、まるで入力ミスが無かったかのように文字が流れる。
そのような工夫によりCPU は高度な判断に特化できる。情報処理の言葉で多くの脳機能を説明できる。
 人格は、コンピュータ全体に帰属するものなのか、CPUに帰属すべきものなのか。我々は CPU のこと
しか自覚できないから、後者の解釈に立ってしまいがちだが、個体という意味では前者である。DMACや
グラボや高級なインターフェースには小さなCPUやメモリが搭載されていることが普通である。人間の脳は
もちろんコンピュータよりも進化しているので、 まさに自分の中に別の自分が潜むといっても不思議はない。
 この本では、分割脳患者を始めとして様々な高次脳機能障害の実例が登場し、その紹介は大変興味深い。
「サブリミナル効果」はセンセーショナルなネタではある。著者は「前意識/サブコンシャス」を定義し、豊富な
実験を示し、この効果を肯定していく。


「サブリミナル・インパクト」下条信輔著(2008)

 著者は元東大心理学教室の先生で、JSTのプロジェクトリーダもつとめた認知神経科学の大御所である。
今はCalTech教授だそうだ。意識を再定義し、前意識における様々な現象を論じてから約10年、今度は
現代社会論に鋭くメスを入れる。本書は社会評論家への転身も可能とする意欲作とみた。
 社会心理学は心理学の素養の上に立つ。群集心理という言葉に代表されるように、社会は心理で動く、
あるいは動かすことができる。たとえば、昨今の脱原発シュプレヒコールは一種の集団ヒステリーにも
見える。冷静なデータに基づく判断力が求められるのに、社会は理性だけでは動かない。
 ところで、(個人を対象にした)心理学において社会はどのくらい関与してくるのだろうか。下条説によると、
前意識にある社会規範や社会常識が意識に対して無意識に働きかけるので、社会学を強く意識する必要
がある(ややこしい)。サブリミナル効果とは、映画に一コマを挿入するトリックを指すだけではなく、ありふれた
テレビCMや政治情宣が、大衆の意識を操作するという効果も指すという広義の解釈である。顕在化すれば
洗脳であるが、サブリミナル効果は前意識の隙につけ入れられるという潜在性のために余計タチが悪い。
 この本の最後の章は「創造性と暗黙知」。我々にとって重要なこの章を読むための準備がやっと整った。
発明・発見をしたときに、周りの人がなぜすぐそれが新規である、重要であると気付くのか。前意識で
見つけられるのを待っていたからだという。私は前意識も飛び越したようなぶっとんだ発見をしたいの
ですけど。。。凡人は、とりあえず見聞を広めておいて、閃きの日が来るのを待てということか。そんなわけで
こんな本を読んだりするのですね。



  • ブラウザの「戻る」で戻ってください。