「重力とはなにか」大栗博司著(2012)


 理科の学習者/研究者なら誰でも「どこまでが真理?どこから仮設?」と考えるときがある。
朽津先生は英語 postulate を書いて、仮説じゃないよ、と念を押されたあの仮「設」である。私も
授業で、「量子力学が判っているという人がいたら大嘘つきだ」と公言して憚らない。この意味は
なかなか深遠で、「判るのではない、使うのだ」という姿勢の意味だと念のため言い直す。例えば、
波動方程式は約束事であり、自然の真理ではない。仮設は、もし不成立の例が現れたら、潔く捨て
ねばならない。大学3,4年あたりで、この概念の理解は必修だ。
 初学者は、学校で教わる学問体系はほとんど真理であると誤解しがちだが、実は逆である。真理に
近い法則は熱力学第二法則ぐらいなものだと、どこかで聞いたことがある。第一法則ですら仮設なのだ。
これを初めて聞いたら、ショックで、高校や中学で習ったことも全て幻なの?と焦ってしまう。
 ドルトンの原子説?これも仮設。X線結晶構造解析で分子構造図が得られるけど、と反論するだろう。
ブラッグ条件も仮設(正確には公理を仮定して導かれる定理のようなレベル)、計算機プログラムも
仮設だらけ、Ortep図では分子を見たことにはならない。それでも我々が分子や原子を見たと信じ、
原子説がやはり真実に近いと感じるとしたら、それは矛盾が生じないように仮設を土台とする学問
ピラミッドを構築してくれた先人天才達のお陰である。
 この本に興味深い表現があった:「因果律は科学の基礎なので、これを破らないように、特殊
相対論では光速を制限速度に『しているのです』」。幸いなことにこの仮設はまだ破られていない。
ポストアインシュタインの世界観構築は、つまるところ、タフな仮設の提案競争である。
 したがって、最終理論とか究極定理などは存在しない。ビッグバン直前のインフレーション期には
宇宙の膨張速度は光速を超えていたらしい。いずれ光速仮設を手放すときがくる。宇宙の外側を
知るまで、ビッグバン以前の宇宙を知るまで、あるいは知った後ですら、我々は悲しいかな井戸の中の
蛙である。仮設は外界でも適用可という保証が一切ないのである。このことは、自然科学の発展が将来に
亘って際限ないことも意味する(そして我々科学者は今後も飯を食っていけると、胸を撫で下ろす)。
 そういう観点で超弦理論を読んでみよう。



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