「アースダイバー」中沢新一著(2005)
中沢氏はいわゆるステレオタイプなのであろう。沖積層=下町=湿=エロス=下品、洪積層=山の手=
乾=陽=上品、という意識若しくは先入観があるようで、私は下町出身であるから、まず不快感を
表明しておきたい。度が過ぎると出自による差別を誘うおそれがある。仮にフィクションとしても、
思索家の作文として許せる形だろうかと疑う。
東京タワーの建設時に、上野の山と芝公園の候補が上がり、どちらも洪積層の土地だった。氏に
よればこれは縄文意識(宗教観)の名残なのだそうだ。昭和30年代には、高層建築は岩盤上でないと
建てられなかったという技術的制約を無視した見解だ。電波源となっているのは、電波は霊界と
繋がっているからなのだそうで、このクダリは「と学会」推薦本指定の理由になる。皆さんの中に
携帯やテレビで「あの世」と交信している人いますかね。
宗教の発展は弥生期以降だし、この地のネイティブを征夷大将軍が追っ払っていったわけだし、
道灌により江戸が開かれたのが室町時代以降だから、縄文期との関連づけにはもともと違和感がある。
氏のお気入り芝増上寺は徳川家が菩提寺として無理やり開いたものである。青山霊園は明治になって
拡充したものである。いずれも古刹というわけではない。
さらに、氏の二元論はいささか強引で、次の論理は全く掴み取れない。地下鉄のレールは男性だが、
電車は女性、流れる地下水も女性なのだ。水場の周辺に性風俗が発達するらしい。氏は地下鉄に乗ると
興奮する体質を持っている。しかし毎日何百万人という首都圏地下鉄の利用者の多くは、幸いにも
その精神は正常である。歓楽街が下町固有であり、沖積層はエロスの温床だという。浅草のストリップ
劇場は浅草寺観音様に関連するという。なかなか御開帳しないからだそうだ。
本書は人類学評論なのか、下手な冗談なのか。バラエティ番組がルポルタージュ記事を報道した
ときにも、一般には創作は問題視される。そんな胡散臭さがずっと続く。
山の手と下町の歴史は、私の(そしておそらく広く受け入れられる真面目な)見解ではこうである。
両者は地理学でいう河岸段丘の上下である。一時期海面が上昇したことは、地形の形成にとっては
それほど重要ではない。段丘境界は、王子飛鳥山から南下する順に、道灌山、上野の山と続き、
神田川河口で途切れて皇居でやや内陸に引っ込むが、そのあと再び、愛宕山、高輪台、大森まで
追跡できる(京浜東北線に乗ると観察できる)。この左手は下町で、荒川と古利根川の形作った
広大な河口デルタである。
江戸城築城には、城塞戦略と海運のために、海に接する丘陵突端が選ばれた。日比谷入り江が
船着き場となった。家来の住居(武家屋敷)は洪水被害を避けるためと、城の近くに住まうとの
理由から山の手側に建てられた。家康が入城した頃の城東は、浅草で海苔が採れたことからわかる
ように遠浅の海岸だった。後に、お茶の水渓谷掘削や駿河台削平の残土による埋立てと利根川東遷
による治水整備のおかげで、その地に新興住宅地が造成された。江戸の経済活動に乗じて移り住んだ
商人や一般町人は、下町に居を構えることとなった。
新しい土地は商業地になりやすく、商業地の周辺には新しい風俗もカルチャーも興こる。土地柄は
単に宅地開発のタイミングとそのときの居住者性向で決まっており、徳川以降の比較的新しい歴史で
記述できる。それだけのことである。縄文時代は関係ないし、巫術もオカルトも無用である。今でも
山の手はハイソな方が多く、下町は庶民的な方が多いが、下町を侮辱する題材はどこにもない。
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