「虐殺器官」伊藤計劃著(2007,2010,ハヤカワ文庫)


 口の中に血の味が残るような、リアリティの強い、凄味のある近未来アクション、エージェント小説である。
 近未来という設定は不要な気もする。潜入部隊の投下ポッドを人肌で被覆することは、ストーリーにとって
何の必然性もない。しかし、そのように設定しないと、現実の地名、国名、あるいは私企業名がリアルすぎて、
ノンフィクションと捉えられてしまうかもしれない。SF手法を借りたのは一種のオブラートと考えられる。
 本書執筆時点から高々7、8年経過しただけだが、過激さを増すIS問題を、全世界の都市で繁華街で続くテロを、
誰が予想できただろうか。小説にしても映画にしてもいわゆる「スパイ・諜報」物は作れない時代になったと
嘆く方がいる。M.I.シリーズにしても、Bourne シリーズにしても、D.H.シリーズにしても、内紛、内通ネタが
多くなり、自分の元組織と闘うというシナリオばかり。映画も小説もつまらん作品が増えてきた。しかし現実は
小説よりも奇なり。いまもどこかで隠密の空爆が行われている。諜報戦は高度IT化している。問題になるとしたら、
おそらく戦争、紛争をエンタメ化することに対する作家の意識下の抵抗である。だから、正統派エージェント小説
である本書が、リアリティをオブラートにくるまねばならなかった理由もわかるような気がする。
 戦場へ取材に出かけて命を落としたり、あるいは傭兵を志願する日本の若者がいる。本小説では登場人物は
欧米人として描かれているが、昨今では、主人公を anonymous な(nobody な)日本人とすることはもはや
不自然ではない。伊藤計劃にはそんな設定で、このご時世を背景として、再度筆をとってもらいたかった。



  • ブラウザの「戻る」で戻ってください。