「私の家は山の向こう〜テレサ・テン十年目の真実」有田芳生著 (2005)
「テレサ・テンの真実〜悲劇の歌姫・国境を越えた愛」宇崎真、渡辺也寸志著 (1996)
5月8日はテレサ・テン鄧麗君の命日である。台湾における国民葬は蒋介石に次ぐ待遇であった。
テレサは諜報部員であったという噂がある。アジアの歌姫として活躍、世界を股にかけた転居暮し、異国の
地で謎の死、我国では偽旅券事件もあったことから、一介の歌手とは考えにくいという状況にあった。
宇崎・渡辺は、台湾国家安全局筋の談話から「30年のスパイであった」と断ずるが、有田は視聴率目的の
創話だと見る。宇崎はスパイ説を流布したTBS側の著者であり、有田はテレサの存命中から半生記を
著すことを許されていたジャーナリストなので、信憑性において後者に軍配が上がる。
ところで、テレサが政治的な活動を行ったのは事実である。内地から台湾へ撤退した国民党の軍人の娘という
生い立ちであり、そのため両岸統一の強い願いを持ち続けたことは、彼女の行動を理解するのにとても重要だ。
第二の故郷の香港が中国復帰を目指していた頃、中国では民主化運動が活発化し、政権と対峙していた。
香港や台湾にとってこれは対岸の火事ではない。香港の民主化支援集会で彼女は「反対軍管」を掲げて歌う。
しかし、直後の天安門事件で多数の犠牲者を出してしまったことの責を感じ、芸能活動が翳る。テレサは
中国本土においても既に有名であったが、その歌は愛国、望郷、反共をテーマにしたものが多いので、中国に
とっては敵性音楽だ。世代越しの帰郷は叶わない。テレサは独りで中国と闘うことを決意し、パリへ渡る。
歴史に名を残した方はやはり違うものを持っている。彼女の崇高な精神に思いを馳せるとき、彼女に「愛人」
や「つぐない」を歌わせた日本のシャリコマ主義は、まことに酷いことをしたのではないかと思う。
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