「恋する伊勢物語」俵 万智著 (1995、ちくま文庫)


 傷心の在原業平は京を出て東国へ下り、はるばる此地の隅田川にやってきて、渡舟に乗ることになった。
船頭に訊く。「あの鳥はなんという?」「みやこどり(京の鳥)と呼んでおります」。そこで恋唄を一首、
 名にし負はば いざ言問はむ都鳥 我が思ふ人は 有りや無しやと
乗船居合わせた皆が泣いたという。
 業平は、失意の底にあっても風流は失わない。それから伊勢斎宮と密通するほどの色男でもあった。だから
私は彼を勝手に師匠として崇めている(風流の方で)。東武さん、そんな業平の名をなぜ駅名から消したのだ?

 閑話休題、俵さんは高校の国語の先生だったのですね。本書は古典の現代語訳ではなく、各段(章)に
基づいた半エッセイ。古語の説明も背景の解説も随所に散りばめられている。伊勢物語はもともと恋バナ
だらけだけども、彼女の解釈でとたんに昼メロ化。しかもユルい。話は脱線。「障害があるほど恋は燃え
やすい」「愛の殺し文句はどんなプレゼントより愛を永遠にする」「誤解は今も昔も恋をハッピーにする」etc。
恋愛指南ですかね。俵先生の授業を受けたかった。短くも意味深な言葉を発せるのは、歌人ならではの
文才であろう。そしてクライマックス「狩の使」。当時の娯楽小説ですからね、18禁だったかもしれない。
高校の教科書には、「東下り」なんかどうでもいいから、こういう段だけ入れておけばよいのだ。高校生に
朝っぱらからラブシーンを朗読させるのもどうかとは思うが、ツカミの問題ね。食わず嫌いはよくない。
古典は日常から縁遠いと思っていた。この本でまさに目からコンタクトが落ちた。
 「この本は味わいがあるね」と君が言ったから僕も恋する伊勢物語 



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