映画評 「下町の太陽」山田洋次監督 (1963、松竹)
山田洋次の寵愛を受けることになる倍賞千恵子の出世作。現代女性の幸福とは何か。墨田区の誇る石鹸工場
(資生堂曳舟工場(当時))で働く下町の女工の恋愛を描く。それが京成曳舟駅と荒川駅(現八広駅)のホームや
踏切や線路や電車内外の情景に重なる。ロケ地はあそこかな?と思い当たる場所がある。今は高架となって
地形も変わり、それは記憶に残るのみ。我が母校の向島文化幼稚園は荒川駅に隣接していた。京成線の車窓から
工場の看板がよく見えた。小学生の頃は荒川河川敷が三角野球のグラウンドだった。当時荒川鉄橋は開口部が
狭くて、たびたび舟が衝突しては京成線が不通となった。この鉄橋によじ登ってレールに触れるのは簡単で、
鉄釘を踏ませて平らにしてナイフを作ったりした。あるとき踏切の遮断機が上がるのをぶら下がって、竹竿を
折ってしまい、バックレたことを白状するが、とっくに時効。私の記憶より一昔前の映画とは言え、懐かしい。
「東京DEEP案内」「首都圏住みたくない街」という怪しいサイトや本がある。この「八広・東墨田工場群」
のルポを読むと、「都会の田舎」「建物がどれも古い」「臭気がひどい」など、えらい書かれようだ。地域
偏見を助長するのは止めていただきたい。ただしここで、なぜそう見られるのかを考えることは意義がある。
化学従事者は、ライオン、花王、カネボウのような多くの石鹸/サニタリ企業が墨田区発祥であることを知って
いる。ところで、皮革製品も墨田区の誇る特産であり、鞣豚革の生産量は東墨田地区で全国の7割だそうだ。
江戸時代、四つ足動物の屠殺と加工は忌み嫌われ、しかし誰かがやらねばならない。そんな宗教上の穢れ
仕事をする技能集団は社会には必要である。獣畜肉類は悪臭を放つため、幕府は彼らを武蔵国の外へ強制的に
移住させた。そこで浅草の鞣革業者は、墨東の木下川村を開墾することとなった。副産する油脂も、傷まぬ
うちに石鹸に加工せねばならず、両産業が同地で共栄した。東都製靴工業共同組合のweb等によれば、幕末に
軍靴の生産は重要性を増し、部落の頭領十三代目弾左衛門は近代洋靴産業を興して、幕府により配下の者と
共に被差別民から平民に転ぜられたという。浅草花川戸に靴問屋が集積しているのは靴産業の繁栄の名残である。
関東では弾左衛門の活躍や震災戦災後の整地のために、同和問題は軽微であると誤解されがちだが、謂れなき
差別は今でもDEEP東京に潜んでいる。なぜ都会に田舎があるのか。行政さん、見て見ぬ振りするな。
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